阿久津貴志私的公式ブログ|国士無双語録

ホーム

August 2017
M T W T F S S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

最近の記事(10件)

カテゴリー毎に表示

月別に表示

月別: 2017年08月

2017年8月7日23:24:39/カテゴリー:Private

サッカー指導者・小嶺忠敏さん(1)日本一のチームのつくり方
 
◆夢を追う
九州で高校サッカーといえば、黄と青の縦じまユニホームを思い浮かべる人は多いだろう。
長崎県立国見高校サッカー部は昭和62年から平成15年まで、全国高校選手権大会を計6回制覇した。
無名のサッカー部を、強豪校に育て上げたのが小嶺忠敏さん(72)だった。
今も「日本一のチームをつくる」と夢を追い、指導者としてグラウンドに立つ。
 
《昭和59年、国見高校に赴任した》
 
国見高校は島原半島の北部にあります。
当初、サッカー部は強豪校なんてレベルではありません。部員に「走ってこい」といったら、なんと歩くんです。
30人いた部員は、「小嶺は鍛えるから、怖い」と次々と辞めていきました。それでも少しずつ、ひたむきさが出てきました。
練習はいつも午後4時が始まりでした。私は10分前にはグラウンドに立ちます。
こちらが端然としていれば、生徒もピシッとします。
 
《就任翌年の昭和60年、早くも県の新人大会で優勝し、続く九州大会も制した》
公立高校は私学のように、特待生を全国からスカウトするのではありません。限界があります。
監督は料理人と同じです。目の前にある「材料」をいかに、うまく料理できるかが、問われます。
サッカーは不思議です。性格が横着なやつほど、「点取り屋」だったりします。
「えっ、こんなところでこんな仕事をするのか」。そんな意外性を秘めています。
逆に守備は、きちょうめんな性格の方が良い。
各自の持ち味を把握するのに毎日、グラウンドに出ました。選手仲間やコーチからも話を聞きます。部員の親と話をして、参考にすることもあります。
どこに「個性」があるかを見いだす。それが、監督の役目です。
特に1年生は「日替わり定食」のように、くるくると変わります。
コーチから「あの選手はすごいです」と報告が上がっても、3カ月後にはさっぱりというケースもあります。
だから、若いコーチには言うんです。
「メンバーを決めるのは結婚と同じだ。ずっと一緒に住んでいると、欠点が見えてくる。
新入生は最初、良いところばかりに目が行くが、そのうちに、気が弱いといった欠点が目立つようになる。事前に個々の持ち味を把握しなければならないんだ」
とはいえ、私もこれがちゃんとできるようになるまで、10年はかかりました。
 
《指導者の原点は、国見の前に赴任した島原商業高校にあった》
 
島原商は、私の母校なんです。
監督就任直後から、夢を抱きました。九州、いや日本一のチームをつくるのです。
当時の島原商は弱小校で、「夢物語」に聞こえたかもしれません。
それでも、夢を追ってみたいと思いました。
指導はスパルタでした。学校から往復12キロを走らせ、徹底して鍛えました。
身体をつくり、試合ではあたりの強さを生かして、ゴール前に長いボールをほうり込む。
そして力ずくでゴールを割る。この戦法は基本的に変わりません。
島原商は52年、インターハイで優勝しました。
  
《国見高は平成12年度に全国高校サッカー選手権、インターハイ、国体の3冠を達成した。これまでに、日本代表を含め、数多くの名選手を世に送り出した》
 
サッカー選手は何か1つ、光るものがあれば良いのです。その上で選手のレベルに応じた指導をすると、チームも伸びる。
 
例えば平山(相太選手)=ベガルタ仙台=なら、身長190センチという「高さ」とボールタッチの柔らかさがあった。それを自分の「宝」にするのです。
FC東京の大久保(嘉人選手)は、「ゴールを狙い、相手の裏を突く」。そんな動物的な感覚を持っていました。
しかも2人とも素直で、周りの人とうまくやれる。各自のセールスポイントをつなぎ合わせて育てるようにしました。
集まった選手でチームを作るのです。
チームの形は国見も毎年、違っていました。3年生が卒業した後、3カ月かけて、どんなプレースタイルでいくかを考え、新チームにしていく。
その際、「今はパスサッカーがはやりだから、パスサッカーをしよう」などと、信念がないのは、だめです。
信念は変わりませんが、指導法は次第に変わりました。
我慢し、長い目で選手をみるようにしました。
「国見は毎日必ず10キロ以上走らせている。軍隊だ」と言われました。
島原商時代はそうでしたが、国見では週に1回、持久走と筋力トレーニングを行うスタイルでした。
 「うまくなりたければ、全て教えてもらおうなんてダメだ。1から3は教える。でも、4から10は、自分の頭で考え、自分で練習するしかない。はい上がってこい」。こう口酸っぱく言うようになりました。
こうした練習方法を広めようと、フットボールアカデミーも作りました。教え子が指導し、地域のサッカーファンも、増えていきました。
 
《平成12年に国見高校校長に就任するまで、足かけ32年間、教壇に立った》
 
 社会科の教諭でした。授業開始の3分前には教室のそばに立ち、チャイムが鳴った瞬間、教室に入ります。授業終了の合図が鳴ると、たとえ授業内容が途中であっても、ぱっと終わるようにしました。
 「1日24時間、誰にでも平等に与えられている。時間は大切にしなさい」。生徒には日頃から、こう教えました。
 また、サッカー以前に、人間教育に重きを置きました。
 高校は、この先の人生を生きるための基盤を固める時期です。知育、徳育、体育のバランスが大切です。
 特に、徳育では「挨拶」「返事」「後始末」を身につけさせるように、気を配りました。生徒の普段の生活を改善するのです。
 生徒が変われば、教師の雰囲気も「自分たちも甘えてはいられない」と変わります。
 そうして近所の評判が良くなれば、学校に生徒も部員も集まります。実績もついてくる。
 「ここの高校はこんなに活躍しているんだ」。学校が地域の誇りとなり、認められるようになるのです。

コメント:なし

阿久津貴志

?php $authordata=get_userdata(3);echo $authordata->first_name;?>貴志
名前:
阿久津貴志
誕生日:
1975年9月28日
出身地:
神奈川県
所属:
湘南ベルマーレフットサルクラブ・吉本興業東京NSC7期生

(管理メニュー:Log in


スポンサー

スペシャルサンクス

協進フルマーク工業株式会社
ZUCC
ZUCC FUTSALBASE 大井
ZUCC FUTSALBASE 町田
JO FUTSALBASE 越谷
554 WEB SOLUTION
© Takashi Akutsu. All rights reserved. Powered by 554 limited company